映画羅生門が気になったら藪の中を読もう!七つの語りで犯人は決まる?太刀と小刀、最後の手から原作の怖さをじっくり一緒に考えようね!

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盗賊が、自分が殺したと話す。
妻も、自分が殺したと話す。
亡くなった夫は、自分で命を絶ったと話す。

……えええ、三人とも!?

『藪の中』って、題名だけなら「結局よく分からない話」で済ませられそうだよね。でも本文を開くと、その分からなさが、かなり具体的なんです。

刃物が違う。夫の縄が解けたタイミングも違う。妻がいつ去ったかも違う。

これは、ふわっとした感想の違いではありません。一人の死に至る出来事が、語る人によって組み替わってしまう。しかも読む側は、そのつど「この話なら筋が通るかも」と思わされるんだよね。

黒澤明監督の映画『羅生門』をきっかけに、芥川龍之介の原作を読んでみたい人へ。今回は『藪の中』の本文を、語り手と持ち物に注目して読みます。映画の全場面を説明する記事ではありません。

以下は小説の結末に触れます。殺人・性的暴力・自死を含む作品なので、まず自分で読みたい人は、本文を読んでから戻ってきてね。描写を細かく再現せず、語りの食い違いを中心に整理します。

目次

最初の四人、もう「見たこと」と「思ったこと」が混ざっている

いきなり犯人を当てようとすると、登場人物の名前と出来事がごちゃっとなりやすい。最初は、七つの語りを二つに分けると追いやすいよ。

前半は、木樵り、旅法師、放免、媼の四人。
後半は、多襄丸、妻、亡くなった夫の三人です。

前半の四人は、死体を発見した人、道で夫婦を見かけた人、盗賊を捕らえた人、妻の母親。事件の最初から最後まで同じ場所で見ていた人たちではありません。

ここ、出発点として持っておきたいんです。

木樵りは、藪の中で男の死体を見つけます。胸には突き傷。そばには縄と櫛があり、太刀は見つからなかったと話す。草や落葉が踏み荒らされていたことも伝えます。

けれど、その先に「男は死ぬ前によほど抵抗したのだろう」という推測が入る。

踏み荒らされている、は目にした様子。
激しく抵抗した、はその様子から考えたこと。

一つの語りの中に、この二種類が続けて置かれているんだよね。読んでいると、ついひとまとめに受け取ってしまう。でも足元の荒れ方だけで、誰がどの瞬間に何をしたかまで見えたわけではありません。

次の旅法師は、前日に男と馬に乗った女を見かけています。男の太刀や弓矢のことを覚えている一方、女の顔は見ていない。ここでは、分かることと分からないことが語りの中に残されています。

「顔を見ていない」という小さな留保、飛ばさずに読んでみて。後の三人が妻の表情や気持ちを語る場面に来ると、同じ女の人でも、語り手が届く範囲は違うんだなと感じられます。

放免は、多襄丸を捕らえた人です。多襄丸が持っていた弓矢や馬と、被害者の持ち物を結びつけ、人殺しをしたのはこの男だと判断します。

疑う材料はある。だからこそ、その判断には勢いがある。

ただ、盗んだ持ち物を持っていたことと、死の場面を目撃したことは同じではありません。本文に出てくる断定の強さと、そこまで語れる根拠の範囲を、並べて眺めてみたいところです。

妻の母親である媼は、死んだ男が金沢の武弘、二十六歳で、娘が真砂、十九歳だと話します。夫婦の身元を知る人として大切な語りです。でも、娘と婿の人物像を知っていることだけで、藪の中の最後の動きまで分かるわけではないよね。

母親の言葉には、娘を探してほしいという切実さもあります。情報を並べる役割だけでなく、家族を案じる人の声として読める。この温度も、四人を同じ「証言者」の一語で片づけたくない理由です。

おすすめの読み方は、余白に印を二種類つけること。実際に見た・聞いたと語られる部分には丸、その人の推測や評価には波線。正しい人を選ぶ前に、何を材料にそう話しているのかが見えてくるよ。

紙の本で印をつけながら読みたいなら、新潮文庫『地獄変・偸盗』に『藪の中』が収録されています。借りた本なら、書き込まずに紙へ人物名と気になった箇所を控えてね。

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後半の三人は、同じ死に別々の道筋をつけている

さて、ここからです。

多襄丸、妻、夫の語りへ進むと、死んだ男が一人という点は変わらないのに、そこへ至る道筋が揃わなくなります。

多襄丸は、男を自分が殺したと認めます。ただし、縛ったまま殺したのではなく、縄を解き、太刀で戦ったのだと語る。二十三合目に相手を刺したという数字を、わざわざ繰り返します。

何をしたかを話すだけなら、数字を強調しなくても伝わるよね。

それなのに、相手がどれほど戦えたかを褒め、自分との勝負を印象づける。犯罪を認めているからといって、自分の見え方に無関心な語りにはなっていません。

ここでは「殺したと認めたのだから、全部正直」と直結させず、どんな殺し方だったと見せているかに目を向けてみたい。卑怯なやり方はしないという説明が、読む側にどんな多襄丸の姿を作るか。そこが読みどころになります。

妻の語りでは、その太刀の勝負が出てきません。

夫は縛られたままで、盗賊は姿を消している。妻は夫の眼差しを冷たい蔑みとして受け取り、口の動きから、殺してほしいという意味を読み取ったと話します。そして小刀で夫を刺したと語るのです。

妻がそう受け取った、ということと、夫の気持ちが第三者から確定した、ということは違うよね。夫は口に落葉を詰められていて、声が聞こえない。その条件も一緒に読まないと、妻の受け止め方がいつの間にか、夫の確定した発言に変わってしまいます。

妻は、自分のしたことを語りながら、苦しさを訴えています。ここで一気に「だからこの人が嘘つき」と札を貼ってしまうと、語りがどう成り立っているかを読む前に終わってしまう。

妻の語りに出てくる恥や蔑みの感覚を、そのまま読む側の物差しにする必要はありません。暴力を受けたことを、妻の落ち度として引き受けなくていい。人物が何に苦しむのかを読みながら、その人への評価は急がずに置いておきたいです。

最後は、巫女の口を借りた夫の語り。

夫は、妻が盗賊について行こうとし、自分を殺してほしいと言ったと語ります。盗賊が妻を蹴り倒し、自分に妻の扱いを尋ねたことまで話す。妻が逃げ、盗賊も去った後、自分で縄を解き、妻の落とした小刀で胸を刺したという流れです。

三つの語りを一度だけ表にすると、違いがすっきり見えるよ。

語る人 死に至る行為をどう説明するか そのときの刃物
多襄丸 縄を解いた相手と戦い、自分が刺したと語る 太刀
妻 縛られた夫を、自分が刺したと語る 小刀
夫の死霊 盗賊が去った後、自分で胸を刺したと語る 小刀

これは、この記事が確定した事件の時系列ではありません。三人がそれぞれ語った内容を並べた表です。

同じ場面への感想が三通りあるだけなら、全部あり得る。でも、誰の手が胸の傷を作ったのかという部分は、そのまま三つとも同じ出来事として採用できない。

そこで読む側は、一本の筋を選びたくなります。

ちょっと待って、その前にもう一つ。夫が妻へ向けた眼差しを、妻は蔑みと受け取り、夫の語りでは盗賊を信じないでほしいという目くばせだったと説明する。このずれは、凶器の違いとはまた違う怖さを持っています。

見られた目と、見た人の意味づけが揃わない。身近な距離にいる二人の間にも、そのすき間があるんだよね。

三人の語りを見比べて読むためにも、書名だけで選ばず、『藪の中』が入った版を選んでおくと安心です。新潮社の公式目次では『地獄変・偸盗』に「薮の中」と表記して収録されています。

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最後の小刀を抜いた「誰か」、ここを急いで埋めなくていい

亡くなった夫まで話してくれた。
これで、ようやく全部分かる?

……と思ったところで、また足元が揺れるんです。

夫の語りの終わりには、誰かが近づき、胸の小刀を抜いたとあります。夫は、近づいた人物の姿を見ていません。その人の名前も語られません。

最後に来たからといって、夫の語りが、作品の外側からすべてを見渡す説明に変わるわけではない。最後の段も、巫女を通して語られる一人の物語として置かれています。

ここ、物語の終わり方として面白いよね。

最後まで読んだのだから、最後の説明を正解にしたい。読む側にはそんな気持ちが生まれやすい。でも、その説明にも、見えていない部分が残っているんです。

木樵りの話へ戻ると、現場には縄と櫛があり、刃物はなかったと語られていました。夫の最後の語りと組み合わせると、小刀が見つからないことに説明がつきそうに感じられる。

だけど、そこで小刀を抜いたのは木樵りだと確定させるには、もう一段の根拠が必要です。本文に、その人物名はありません。「筋が通りそう」と「書かれている」を行ったり来たりできるのが、この作品の読み応えなんだと思います。

特定の説を考えるのは楽しい。自分ならこう読む、という筋を作るのも、もちろんあり。

ただ、その説をメモするときには、根拠を二列に分けてみてね。

一列目には、本文に書かれた動作や持ち物。
二列目には、それをつないで自分が考えたこと。

たとえば「死霊は小刀を誰かに抜かれたと語る」は一列目。「その人物が刃物を持ち去ったのではないか」は二列目。そして人物名を付けるなら、さらにその理由を添える。

こう書くと、せっかくの考察にブレーキがかかりそう?

むしろ、どこからが自分の読みなのか見えるので、友達の別の説も聞きやすくなると思う。「その説なら、縄が解けるタイミングはどうなる?」と、具体的な箇所へ戻って話せるから。

最初から誰が一番信頼できるかだけを競うと、ほかの語りを早々に捨ててしまう。持ち物や動作を追っていくと、自分の説に都合の悪い行も目に入ります。そこまで含めて読むと、短い作品なのに、ずいぶん長く考えられるんだよね。

最後の一段を読んでから、最初の木樵りへ戻る。これはぜひ試してほしい読み方です。一度目は通り過ぎた、刃物を見なかったという一言に、二度目は足が止まるかもしれません。

収録本を手元に置くなら、冒頭と末尾にそれぞれしおりを挟むと行き来しやすいよ。答えを書き込む場所というより、迷いを残しておく場所を作ってみて。

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映画の題名から本を探すなら、収録作品まで見てから選ぼう

映画『羅生門』が気になって本を探すと、同じ題名の小説を手に取りたくなるよね。

でも、今回扱った七つの語りの小説は『藪の中』です。

新潮社が公開する神楽坂映画祭二〇一六の資料では、映画は『藪の中』を中心に、小説『羅生門』も加えた作品と紹介されています。『藪の中』の収録先は、新潮文庫『地獄変・偸盗』です。これは過去の映画祭資料で、現在の上映予定を案内しているものではありません。

映画と原作を比べるなら、まず何を読み、何を見たのかを揃えたい。小説『羅生門』と『藪の中』は別作品なので、題名だけで読みたい場面が入っていると決めず、目次を見て選んでね。

今回の本文読解に使ったのは、青空文庫で公開されている『藪の中』です。底本は、ちくま文庫『芥川龍之介全集4』。新潮文庫と同じページ番号や注解だとみなしてはいません。

紙の本を選ぶ場合、新潮社『地獄変・偸盗』の公式目次で収録を確認できます。芥川龍之介著、ISBNは9784101025025。表題作や『偸盗』など、六編を収めた作品集です。

読む対象が一篇でも、本の題名は別の作品になっていることがある。このひと手間、思ったより大事なんです。

手元で何度も開きたいなら、購入画面では書名・著者・ISBNを並べて見てね。表紙の見た目だけで選ぶより、収録作品へたどり着きやすくなります。中古なら、書き込みや傷みの説明も読んでおこう。読書メモを余白に残したい人には、その状態も本選びの一部です。

新品を買うのか、中古で探すのか。紙がいいのか、電子版がいいのか。先にそこを決めると探しやすいよ。記事内の楽天リンクは、収録本のISBNで探せる検索リンクです。価格や送料、在庫は、選んだ販売店の表示を見てね。

今すぐ本文を読みたいなら、先に青空文庫で読む選択もあります。そこで気になった語りを、手元の本でまた読み返したくなったら、紙の本を選ぶ。そういう入り方もいいよね。

映画との比較をする場合は、小説の欄と映画の欄を分けてメモしておくと、別の作品で覚えた場面が混ざりにくくなります。小説で語られたこと、映画で画面に出たこと、そこから考えたこと。この三つを書き分けるだけで、感想はずっと具体的になります。

原作を読めば映画のすべてが解決する、とまでは言えません。逆に、映画の印象で原作の空白を埋めてしまうと、小説の最後に残された「誰か」を読む楽しみが薄れてしまう。まず一篇を一篇として受け取り、その後で並べたいです。

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七つの語りを読み終わって、まだ決まらない。
それでいいんです。

その代わり、「なんか分からなかった」で閉じる前に、一か所だけ戻ってみて。太刀なのか、小刀なのか。縄は、いつ解けたのか。夫の目を、誰がどう受け取ったのか。

小さな違いに引っかかると、別の語りまで読み直したくなる。

一人で読んでいたはずなのに、七人の話の間を行ったり来たりしてしまう。『藪の中』には、そんな忙しさがあるんだよね。

答えを一つ持ち帰れなくても、気になる一行を持ち帰る。
そこから話せる感想、きっと面白いよ。

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この記事を書いた人

作品を尊重しながら、映画の見どころや感想、考察を独自にまとめる編集部です。

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